ーー当時のアドベンチャーの様子について。
私が入社したのが2010年7月なので、創業からもうすぐ4年に差し掛かるところだったのですが、渋谷の小さな事務所でした。今は当たり前な業務のシステム化もされていなかったので、業務のオペレーションもうまく軌道に乗っていない事もあって、すべてエクセルで情報管理して手作業で業務を進めたり、電話配線をみんなが椅子で踏み潰すので、よく断線してしまって電話が1日2日繋がらないというハプニングがあったり、とにかく総じてカオスな状況でした。
当時の募集要項も「旅行をウェブで販売します」程度で、とにかく旅行会社経験者を急募っていう状況でしたね。私は最初はアルバイトから始めようと思って応募しましたが、経験者だからという事で急遽正社員として入社が決まりまして、社員の人数も少なく私を含めて3名でした。
もともと前の会社では法人営業で旅行商品を営業・販売していまして、アドベンチャーに入社してみて思った事は、旅行業界のイメージとは全然違うものでした。航空券だけをウェブで販売していて、当時の旅行業ではやらないような事業だったので、「本当にこれで儲かるのかな?利益あるのかな?」と心配しながら仕事をしていた記憶がありますね。当時はあまり業績が良くなかったこともあって、少数精鋭で業務にあたっていたので、航空券の発券からお客様の電話対応から、経理の仕事もしつつウェブサイトの修正もしたりと、なんでもやっていましたね(笑)
創業初期の渋谷時代のごちゃごちゃ感のあるオフィスの様子。
ーー2011年の東日本大震災からスピード上場を実現し、今を代表するOTAへ成長。
震災後はどん底の毎日で、航空券のキャンセルやそれに伴うお客様対応も多くて、社員数も少なかったのでカオスな毎日でした。ただ、政府の支援として資金援助があったので、ある程度まとまった資金があった事から、システムの投資をしていく方針になりました。そこから社員数も増え始めて、オペレーションも回るようになり、私は販売側からの視点で開発に携わっていくようになりまして、エンジニアとのやり取りがメインとなっていきました。
販売側からの要望を開発側に出していくことで、手作業の仕事も自動化されるようになってきまして、だいぶ業務が効率化されたように感じますし、自動化する事で予約を捌けるボリュームが増えて、売り上げが伸びて更に開発に注力して、どんどん予約の自動化も進み良いサイクルになったと思います。
国内航空券だけの事業から海外航空券を扱うようになり、売上が右肩上がりで伸びていきまして、いよいよ2014年12月には東証マザーズ(現:グロース)に上場が実現しました。震災から3年という非常に速いペースでどん底の毎日から上場まで実現した背景には、開発に注力して利益が伸びたというサイクルもありましたが、社長の判断の見極めもありタイミングも良かったのかなと思います。
上場をすることでまた資金も増えて、会社も渋谷から高輪台にオフィスを移設しまして、また更に人も増えて、事業の勢いは更に加速していったように感じます。具体的には、事業も航空券だけでは無くて、アクティビティやレンタカーの予約も広げるようになって、この頃からアプリの自社開発に注力するようになっていきました。今会社で使われている自社システムの基盤もこの時に作られたように記憶しています。その後にウェブサイトとアプリの多言語・多通貨対応も進めるようになり、より多くのユーザーの獲得にも繋がっていったと思います。
2014年の上場時の記念写真(金槌を持っているのが社長です)
ーー新型コロナウイルスの拡大で更に発展していくアドベンチャー。
2016年頃だと思いますがオフィスを恵比寿ガーデンプレイスに移す事になり、いよいよ会社が大きくなってきたなと実感しましたね。「ついに恵比寿来たか~」と、最初の渋谷時代を思い出すと感慨深いものがありました。社員数も私が入社当初の3人から60名位にまで増えまして、恵比寿では新卒採用も始めようと話が進みました。
2017年、2018年は右肩上がりで前年比200%で伸びていた先で、2019年のコロナウイルスで世界的なパンデミックが始まりました。そこでガクッと下がるかと思いきや店舗型の旅行代理店が軒並み閉鎖する中から、オンラインの旅行代理店に客層が流れてきたこともあって黒字化も維持出来ましたし、他のライバル会社が静まり返ったことでコロナウイルスの拡大を転機として、アドベンチャーとしては更に事業展開の可能性が見えてきたというのはあるかと思います。
今思えば「小さな町工場から始まり世界へ」じゃないですけど、渋谷の小さな事務所から世界進出をしていくフェーズにまでアドベンチャーが成長してきたことに驚きますし、長いことコツコツやってきて良かったと思いますね。
現在の恵比寿オフィスの様子。