ーーアドベンチャー入社。そしてコロナ禍で奮闘した日々
私は最初デザイナーとして入社して、ウェブデザインや広告グラフィック制作を担当するところから始まりました。当時のアドベンチャーはまだ白金の小さなビルのワンフロアだったんですが、そこから非常に早いスピードでアドベンチャーが事業拡大していく様子を目の当たりにしてきました。実際私が入社して2年も経たないうちに、今の恵比寿ガーデンプレイスの大きなビルに移動して、メンバーもみるみるうちに増えて、今では大阪や海外にまで複数の支社を持つまでの会社に成長して。こんな風になるなんて、私が入社した6年前には想像もできませんでした(笑)
その後COVID19という、旅行業界にとってものすごく大変な時期があって。そのときの経験は私の中ではすごく濃いものとして残っています。コロナ禍のこの時期、国からの旅行業界支援策(GOTOトラベル)が始まって、その施策に対応するために社内全体で緊急的なサービス変更が求められました。その時期には私はデザイン分野だけではなくて、プロジェクトマネジメントの部分も任せていただく様になっていたんですが、もう連日連夜の対応に追われて、徹夜で作業する日もあったりして正直本当にきつい時期だったなと思います。
でもそれと同時に、私が在籍していた6年間の中で会社がここまで一丸となれた時期もないんじゃないかと思います。当時は私が所属していた開発部だけでなくて、それまで関わりが少なかったオペレーターさんや営業の方々とも、部署を跨いでコミュニケーションを取らなくてはいけなかったので、社内全体が協力しているというか、ぐっと社内の繋がりも濃くなった感じがしましたね。
また、私にとってはすごく学びが多い時期でもありました。それまで部分的な改修は請けたことがあったんですが、このときにはサービス全体のフルリニューアルのような大規模改修を行わなきゃいけなかったので、skyticketのサービス全体像がよりくっきり見えるようになりました。
ーーグループの統括責任者を務める中での学び、メンバーとの協力の大切さ
こんな流れで徐々に業務範囲が拡張していって、退職前には、今のマーケティング部の原型であるクリエイティブグループの責任者を務めるようになっていました。そのクリエイティブグループというのが、マーケティング担当、テスト担当、デザイン担当、フロントエンド、ライター、翻訳者など、ウェブ開発に関わる様々なジャンルの方が一堂に会している部門でした。そこに加えて業務委託の方やアルバイトの方もいらっしゃったので、一番多い時期では70名程度のマネジメントを求められたんですよ。そこで急に業務範囲がぐっと広がって、自分の専門分野以外もカバーしなければならなくなって、常に自分のスキルや知識不足を痛感する日々でしたね。
じゃあどうして当時やっていけたのかっていうのを振り返ると、私の周りの強力で心強いチームメンバーたちのおかげだったと思っています。それぞれの専門スキルや知識を持った各メンバーが常にアイデアを出しあって、互いに知識を補完し合ったおかげでやってこれました。
なので、私は当時のメンバー1人1人にすごく感謝とリスペクトの気持ちがとてもあるんですよ。1人でできることって限られてるからこそ、互いに信頼し合える関係性でいることが相乗効果となって、良い結果を産むことができるんだと思っています。
当時のクリエイティブグループメンバーとの写真。真ん中で花束を持っているのが横田。